制御装置の壊れた探照灯(サーチライト)は、暴走しつつも「何か」を照らし出す。
上杉氏は、著書などを通じて、マスメディアについて「真相を隠蔽して虚報を流し、バレても責任を取らない。それでいて正義の旗を振りかざす横暴ぶり」と糾弾。マスメディアが国民をだましていると非難している。だが、そうした糾弾や非難は、そっくり今の彼に当てはまりはしないか。→ 人や物事を評論する、ましてや批判や警告をするという行為は、最終的に発信者に科せられるものだと思っている。それはまるで、十字架を背負うかのように、だ。
それでも、彼の関心の対象が政治家やマスメディアに向いている間は、それぞれ反論する力や機会のある人や組織であり、私などがあれこれ言うことはないと思っていた。経歴を巡る脚色があったのかなかったのか、という点も、彼の読者や視聴者が判断すればよいことだと考えていた。
しかし、彼の事実に基づかない記事やお喋りによって、ただでさえ原発事故の多大な影響を受けて生活している福島の人たちを不安に陥らせ、ストレスとなり、あるいは福島の人々への差別を生みかねない事態になっているとなれば、話は別だ。なのに、彼のファンからの非難や揚げ足取りなどのリアクションを面倒がったり、同業者を批判する後味の悪さを嫌がって黙っていることは、結局、彼がやっていることに加担するのに等しいのではないか。なんども迷った挙げ句、そのように考え、思い切って本稿をアップすることにした。
上杉氏は、実に行動的で話が面白く、プレゼンテーション能力が高くて発信力があり、多くの人を惹きつける。仲間内に対する情にも篤い人だと思う。『官邸崩壊』などを書いた頃の彼は、もっときちんと取材をする人だったのではないか。また、麻生元首相に対するマスコミのアンフェアな扱いを彼が批判するのを聞いて、私もそういう扱いに加担していたなと、とても反省させられたことがある。
そういう才能豊かで、能力がある、本当に希有な存在であるだけに、今のように、事実を確認しない雑な取材や、あるのかないのか分からないあやしげなコメントを連ねて記事を書き散らしたり、誇張や脚色を加えた講演活動をしたり、問題点を指摘されても誠実な対応を避けていることが、本当にほんとうに惜しまれる。もったいない…。
余計なことかもしれないが、無理かもしれないが、こうした批判に一度真摯に耳を傾け、じっくり考えてくれないかな…と願ってやまない。
2012年05月10日(木) | 特集:メディア関係者の呟き | comment : 0 | Trackback : 0 | △
まず、私の挨拶でチベットの高僧の高貴な行為が傷つけられたと思われた方に謝罪いたします。私としてはそのような意図はまったくありませんでしたが、そのような受け止めをされる余地のある表現しかできなかったことは、本業も含め表現行為を糧としてきた者として不甲斐ないことです。故意ではないにしても傷つかれた方に謝罪する必要があります。本当に申し訳ありませんでした。→ このように釈明されている。
そのうえで、今回の発言がチベットの高僧の高貴な行為が傷つけるものではなく、来場された皆さんが笑った対象も、チベットの高僧の行為ではなかったことを説明したいと思います。
まず、私の挨拶を書き起こしてみましょう。
→ 時系列に起こすとこういう風になる。動画のタイムラインと発言の位置を調整したらこうなったわけですから、その辺りはご了承を。(問題があれば、youtubeの動画ソースを見ていただければ幸いです。)私の評価は?と聞かれれば、発せられる言葉の内容と表情は関連するものだから、感情がそのまま顔に出たのでは?という解釈が全てだ。
はい、どうもありがとうございます。日隅一雄と申します。この度はこのような名誉ある賞の冠をつけさせていただいたうえに、プレゼンターとして呼んでいただきありがとうございます。
これまでに登場されたプレゼンターの方々が有名な方々で、「なんなんだ、こいつは」、ということで、
私は昨日、東電の前でチベットの高僧のようにですね、火を、自殺をして私の名前を上げたほうがいいのかなと、(筆者注:ここで会場に笑いが起きる)悲愴な決意でここに来ているわけなんですが、
真面目な話、数年前から私はブログの方で第二次大戦のこととか、それから、いろいろ、われわれが忘れてはならないことをずっと書き続けてきました。
そのなかで今回大きな事故が起きて、この東電の事故も決して忘れてはならないという意味で、私の活動をみていただいて名前をつけていただいたのではないかと思って、非常に光栄に思っております。さきほどから、自由報道協会がいつまで続くのかという話があるんですが、ぜひ、50年、100年と、孫子の代まで、続けていただきたいと思っております。もし、途中で止まるようなことがあったら私は化けてでたいと思っておりますのでよろしくお願いします。
私が笑いながら話しているのがけしからんという方もいらしゃるかもしれませんが、私が笑っているのは、まさに、ほかの人とは比較にならないくらい知名度がない自分に対する自虐的な笑いです。→ 私から言わせれば、事後的解釈であり、「私のユーモアに対し、会場内で笑いが起きました。しかし、チベットの高僧について笑った者は一人もいなかったでしょう。みんなは、私の自虐ネタを理解して笑ったわけです。」という内容についても、「みんなは、私の自虐ネタを理解して笑ったわけです。」と言い切れるのがある意味すごいとしか思えない。
この私のユーモアに対し、会場内で笑いが起きました。しかし、チベットの高僧について笑った者は一人もいなかったでしょう。みんなは、私の自虐ネタを理解して笑ったわけです。
チベットの高僧を対象とした笑いではないことは、私の挨拶から「チベットの高僧」という部分を削除しても、同じように自虐ネタとして成立していることから明らかです。しかし、その場合、なぜ、東電の前で自殺するのか、ちょっとわかりにくくなります。ところが、「チベットの高僧」という例を挙げれば、抗議の自殺という意味なんだなということが簡単にわかります。そこで、「チベットの高僧」という表現をしたのです。もし、ベトナム戦争の時期であれば、「ベトナムの高僧」という表現をしたでしょう。
2012年01月31日(火) | マスコミ関係 | comment : 0 | Trackback : 0 | △
枝野幸男官房長官は11日午後の記者会見で、東日本大震災発生直後、原子力災害対策本部(本部長・菅直人首相)の会合など、東京電力福島第1原発事故の対応をめぐり開催された会議の議事録がほとんど作成されていないことを明らかにした。
政府は今月中旬にも原発事故調査委員会を発足させるが、枝野氏は議事録がない部分については「多分、記憶に基づく証言などを求められることになる」と述べた。政府内の議論の模様を示す資料がないことで、検証作業に支障を来すのは避けられない。
枝野氏は、事故調査委の発足にあたり「首相だけでなく私も含めた政府関係者や東京電力の事故以前と以後のプロセスを、すべて検証しなければならない」と強調した。
ところが、「原子力災害対策本部などについては一定の議事メモは残っているが、危機管理対応で議事録を取る場がほとんどなかったのが実態だ」と述べた。
また、枝野氏は「制度的な問題を含め、事故を事前に抑止できなかったのかということが一つの大きなポイントだ」と、自民党政権時代の対応も検証の対象になるとの考えを示した。
東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡って、避難区域や除染の方針など重要な決定を行ってきた政府の「原子力災害対策本部」の議事録が作成されていなかったことが分かりました。専門家は「将来同じ失敗を繰り返さないようにするための財産が失われたという意味で、国民的な損失だと思う」と指摘しています。
政府の原子力災害対策本部は、総理大臣を本部長とし、経済産業大臣をはじめ全閣僚をメンバーとするもので、原発事故当日の去年3月11日に設けられ、避難区域や除染の基本方針、農作物の出荷制限など原発事故を巡る重要な決定を行ってきました。NHKで、去年11月、それまでに開かれた21回の会議について「議事録や内容をまとめた資料など」の情報公開請求を行ったところ、公開されたのは、議題を記した1回の会議について1ページの「議事次第」だけで、議論の中身を記した議事録は作成されていなかったことが分かりました。NHKの取材に対し、原子力災害対策本部の事務局を務めている原子力安全・保安院の担当者は「業務が忙しく議事録を作成できなかった」と説明しています。公文書管理法は、国民への説明義務を果たすとともに政府の意思決定の過程を検証できるようにするため重要な会議の記録を残すよう定めており、公文書の管理を担当する内閣府は、原子力安全・保安院の担当者から聞き取りを行うなど経緯を調べています。原発事故への対応を巡っては、東京電力と政府が合同で事故対応を検討した「事故対策統合本部」でも主要な会議の議事録が作成されていなかったことが分かっており、内閣府は、この経緯についても調べています。
公文書の管理や情報公開制度に詳しい名古屋大学大学院の春名幹男特任教授は「政府の重要な立場にあった人たちは、記録を残さないと責任を果たしたことにはならない。今回は、自分たちの失策がそのまま記録されると困るので、あえて記録を残さなかったと思われてもしかたない。将来同じ失敗を繰り返さないようにするための財産が失われたという意味で、国民的な損失だと思う」と指摘しています。
藤村官房長官は午前の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡って、政府の「原子力災害対策本部」の議事録が作成されていなかったことについて、「去年3月にさかのぼってどういうふうにやれるのか、追求しなければならない」と述べ、議事録を作成したいという意向を示しました。
原子力災害対策本部は、総理大臣を本部長に全閣僚がメンバーとなっており、原発事故当日の去年3月11日に設けられ、避難区域や除染の基本方針など重要な決定を行ってきましたが、議事録が作成されていなかったことが分かっています。これについて藤村官房長官は、午前の記者会見で、「今、原子力災害対策本部を中心に、担当する内閣府や原子力安全・保安院などで、どういうことになっているのか検討している段階だ。まだ確たるものは分かっていない」と述べ、当時の状況について政府として調査を進めていることを明らかにしました。そのうえで藤村長官は、「基本的には、公文書管理法に基づいてやるべきことだと思うので、去年3月にさかのぼってどういうふうにやれるのか、きちんと追求しなければならない」と述べ、議事録を作成したいという意向を示しました。
→ 映像を含めたものは『東電の勝俣会長は「統合対策本部の記録はある」と言っている』を参照。――(ITmedia)統合対策本部の会議では議事録をとっているのでしょうか。もし、とられていたら、それを後ほど公開されることを考えていますか。
勝俣 記録的なものはあります。これについては今後、私たちとしてもしっかりと検証していくことになりますが、私たちのものだけではなくて、経産省や官邸と共同で所有しているものということなので、こうした調整が今後どうなるかによるかと思います。
――(ITmedia)勝俣会長としてはどうされるべきだとお考えですか。
勝俣 どういう風に議事録をとられているかというのは、私自身まだ実物を見ていないのですが、非常に細かなものもあるし、それぞれがメモでとっているものもあります。こうしたものをどうやって集約していくかというのが、今後の私たちの責務であると思っています。
鳩山内閣が政治主導の舞台としている閣議や閣僚懇談会、閣僚委員会、政務三役会議の議事録を基本的に残さない方針を続けている。「議事録作成が前提となれば政治家同士の自由な意見交換が妨げられる」との理由だが、関係者からは「政策決定のプロセスを歴史的に検証できない」と懸念する声も出ている。
鳩山内閣では各府省ごとに閣僚、副大臣、政務官の「政務三役」が政策を立案し決定。複数の府省にまたがる重要課題は担当閣僚で「閣僚委員会」をつくり調整するなど、官僚に関与させない仕組みだ。
閣議や閣僚懇談会については旧政権下でも議事録を残していなかったが、これには事務次官会議で事前に発言内容を調整していたという背景もある。鳩山内閣では事務次官会議を廃止したため、閣議での発言はこれまで以上に政策決定の上で重要な意味を持つのは間違いない。
平野博文官房長官は議事録作成に否定的な意向を示し「自由闊達な意見を述べてもらい方向性を出していく場だ」と強調。「記者会見や背景説明により、透明性を確保できる」との立場を崩していない。
2012年01月23日(月) | 時事関係 | comment : 0 | Trackback : 0 | △
@atolshan 岩上さんって面白い人ですね。番組降板の理由が震災前後で変わってる。3月11日→http://bit.ly/hoZEyL 4月6日→http://bit.ly/oGGfpz

とくダネのプロデューサーと、本日、話し合いました。実は一週間前、一度目の話し合いがあり、この三月いっぱいで、12年続けたとくダネを降板して欲しいと言われました。残念だが、昨今のメディア状況を考えると仕方ない。受け入れることにしましたが、それにしても、話が急すぎる。→ 注目してほしいのは、ツイートした時刻およびその内容である。

続き。原発事故について、話したあと、TBSのキラキラを降ろされ、ニュースの深層では、スポンサーである電事連から圧力がかかり、スポンサー無しの放送を余儀なくされた。岩上も、原発が理由かどうか、とくダネをおろされることに。大本営発表と同じ状態。非国民の代わりに不謹慎と言われる。→自ら震災発生以前に”とくダネ!”降板をうけいれたのに、4月6日時点ではいつの間にか「原発が理由かどうか、とくダネをおろされる」という急展開にびっくり仰天_
2011年11月03日(木) | 特集:メディア関係者の呟き | comment : 0 | Trackback : 0 | △

世田谷で1時間あたり2.7ミリシーベルトが観測されましたが、道路の脇の藪の傍で、当然、死の灰の性質からいって予想されることです。毒物が飛散した場合、「どこに毒物があるか」というスタンスで毒物の多いところを探して、そこを警戒するのに、「できるだけ事故を小さく見せたい」ということで公園の真ん中など意味のないところを測定していたのです。
だれでもわかるように「毒物が飛散した」というと道路の真ん中や公園の広場を調べるのではなく、丹念に「どこに行ったか?」を調べるのですが、今までは「なさそうなところ」を測るというとんでもないことをやっていたのです。

世田谷で1時間あたり2.7ミリシーベルトが観測されましたが、これは付近の住宅にラジウムなどを保管していたためとされています。しかし、今回の事件は、毒物が飛散した場合、「どこに毒物があるか」というスタンスで毒物の多いところを探して、そこを警戒するのが常道なのに、これまで公園の真ん中などだけ測定していたので問題が大きくなりました。
だれでもわかるように「毒物が飛散した」というと道路の真ん中や公園の広場を調べるのではなく、丹念に「どこに行ったか?」を調べるのですが、今までは「なさそうなところ」を測るというとんでもないことをやっていたので、6ヶ月もたって線量の高いところが発見されたのです。
2011年10月15日(土) | 科学関連 | comment : 0 | Trackback : 0 | △
今日の電気新聞「記者ノート」より。記者が、津波被災地支援から帰った友人自衛官を労いながら聞いた話として。→「…救助活動の話を聞きながら最もつらかったことを尋ねると、『小さい子どもを抱きかかえた親子の遺体を発見したとき』だと、彼は下を向いてぼそりとつぶやいた。(続く)
やるせない気持ちを表す一方、救助活動中に感じた憤りも口にした。『ぶっとばしてやろうかと思いました』と彼が怒りの矛先を向けたのは大手テレビ局の撮影隊。彼の所属する部隊が救助活動を黙々とこなしていると、後方から突然声を掛けられたという。(続く)
『ここを撮影するのに邪魔だから、それ(遺体)をどけてくれる?』と。彼がテレビ局関係者の要望を無視し、怒りを覚えつつも救助活動に全力を投じたのは言うまでもない。(続く)
御巣鷹山の日航機墜落事故や阪神大震災など、大災害の取材現場で報道陣の倫理観がたびたび問われてきた。今回の原子力事故の取材現場でも倫理観とまではいかないものの、報道陣のマナーに疑問を感じたことが何回もあった。(略)(続く)
マナーや倫理観に欠ける言動を繰り返していると、記者としてというよりも、人間としての信頼感が薄れる。そのような者が報じても、読者や視聴者の心に果たして響くのだろうか。3・11から半年を迎えた今、自戒も込めて、あらためてマナーと倫理観の大切さを考えている。(明)」引用終わり。
報道はそれなりの公益性を背負っていることを、社会全体で共有する必要がある。報道記者は、その公益性を逸脱した行為は慎むべきである。報道の公益性が理解されれば、社会も取材に協力したり譲歩したりするようになるだろう。取材ヘリが視覚的にうるさくても、上空からの映像によって事件や事故の全体像を知ることができると理解すれば、受け入れられるように思う。→ 襟を正さぬものに対する対応を、メディア関係者はしてきたのか?6年前から変わらない現実を目の当たりにする。
事件や事故現場で、警察や消防などが活躍していると応援したくなるように、腕章をした記者たちも応援してもらえるように、報道機関は自らの襟を正すべきである。
まあ、中越地震の時に現地に行った時も、中越沖地震の時に仕事で現地に行った時も、この目でマスコミの嫌な部分を何回か見ているから、いまさら驚かんですよ。
2011年09月15日(木) | マスコミ関係 | comment : 0 | Trackback : 0 | △
ネットの上で、検索すると、9日深夜から10日にかけて各紙で報道されているのがわかる。各紙のいいぶりと掲載時間は以下の通りだ。朝刊最終版に向けて、各社必死だったのだろう。→ 高橋洋一氏は、いいぶりの違いを指摘しつつ、メモの部分が重要なのを指摘。「こんなあやふやの話で閣僚が辞任する必要があるのか。」という話まで出る始末。それをさらに過激にすると ↓
「放射能をうつしてやる」(産経新聞 9月9日 23時51分)
「放射能をうつしてやる」(共同通信 9月10日 00時07分)
「放射能をつけちゃうぞ」(朝日新聞 9月10日 01時30分)
「放射能をつけたぞ」(毎日新聞 9月10日 02時59分)
「ほら、放射能」(読売新聞 9月10日 03時03分)
「放射能をつけてやろうか」(日経新聞 9月10日 13時34分)
「放射能を分けてやるよ」(FNN 9月10日 15時05分)
面白いことに各紙でいいぶりが異なっている。
記者であれば、大臣の談話はオフレコであろうと、メモだけでなくボイスレコーダーで記録しているだろう。それにも関わらず、各紙でいいぶりが違っているのは不可解だ。話をおもしろ可笑しく膨らませた可能性はないだろうか。こんなあやふやの話で閣僚が辞任する必要があるのか。
今回の報道は、記者の創作であり不正確な内容である。すなわち鉢呂氏自身の発言とは異なっているということだ。もし、どれか一つが本当だとしたら、その他は記者の作文だということだ。→ 創作扱いにまでされる始末。まあ、「記者の創作であり不正確な内容である。すなわち鉢呂氏自身の発言とは異なっているということだ。」というのには理解できるが、「たった一言も覚えられないほど能力が低いのか、もしくは人の話を正確に聞く能力がないということだ。」とまで言い放つほどにはなれない。
大手マスコミで働く記者たちは、たった一言も覚えられないほど能力が低いのか、もしくは人の話を正確に聞く能力がないということだ。そして、よく聞こえないときは適当に創作して記事にしてしまうということだ。
【「ほら、放射能」発言】一つ一つの記憶がさだかでないが、(発言を聞いた記者が原発事故の)現地に行っていないということで、(現地の)厳しい状況を共有していただくという親しさを込めてそういうしぐさが出た。非公式の記者懇談という気楽さもあった。どういう言葉だったかというのは今の段階では分からない。→ 事実関係を握っている人がこの調子だと、何も始まらない。書き起こし記事でもそのような雰囲気 ↓
朝日新聞(金田)「改めてお聞きします。非公式な場面での発言について、もう一度ご記憶にある範囲でどういうやり取りがあったかということと、そのやり取りについてどのように感じているのか」
鉢呂「何回も話したと思いますので、私の(記憶が)定かじゃないところもありますから、皆さんが聞きたいという事はよくわかるが、私としては今話した事に尽きるとご理解をいただきたい」
記者「放射能をつけるぞという発言をされたと報道されている事は、事実ではないと」
鉢呂「そこは自分自身として、きちんと言えないが、相手は記者さんですから、専門の方だと思いますので、私はどういう記者さんがいたのかも、実際ここに来て1週間ですからわからない。いづれにしても若干の記者さんから出る言葉が違うのものですから、尚更私自身としても。一連の視察の経過については真剣にしゃべった事は覚えているのですが、その後の中身については必ずしも明確にこうだという記憶の範囲外なので、いづれにしても専門の記者さんが受け取った言葉はそれなりに受け止めなければならないのかと。但し、自分からはどう言ったのか思い出す事ができない」
記者「放射能をうつしてやるという趣旨の発言があったと報道されている事については否定も肯定もできないということ?」
鉢呂「私としては、否定的なんですが、それでは済ませない問題だと思って決断をしたところであります」
記者「言ってないということですよね、言ってないという記憶があるのにどうして辞任?」
鉢呂「それは、何ともいえません」
記者「大臣は仰っていないという記憶があるのに辞められると」
鉢呂「どう言ったのか、防護服を摺り寄せたという事はなかったと思うが、どういう言葉であったかは今の段階では分かりません。そういった問題も含め、私自身の判断をさせていただいたので、皆さんのご理解をいただければありがたいです」

8日夜の鉢呂経産相と報道陣の主なやりとりは次の通り。→ これを元にして議論をせずに、何が真実の追究か。
Q (福島第1原発の)視察どうでした?
A やっぱり、ひどいと感じた。(記者に突然、服をなすりつけてきて)放射能をつけたぞ。いろいろ回ったけど、除染をしないと始まらないな。除染をしっかりしないといけないと思った。
Q 予算措置は?
A あす、予備費の2200億の関連で閣議決定する。それでも足りないよね。じゃ、おやすみ。
私は、報道とは良くも悪くも野次馬であるべきだと考える。ただし、あるがままをまず伝えること、周囲に適切な節度と配慮を忘れないこと、恣意的な意図を織り交ぜないこと、記事と社論は峻別することが重要かつ必要だと考える。傍若無人、勝手気ままに「報道の自由」のもと、記者にも企業にも責任のない「自分勝手な報道」は許されるはずがないだろう。マスコミも、他と変わらない、一企業を名乗るのなら。
(筆者注:メディア批判、そしてそれを受ける記者の”萎縮”について)
元々は、朝日新聞の記者だけでなくその他の報道に関わるものが、業界の中で起きた「不祥事」や「疑惑」を解明することなく放置していき、最終的に「誤り」「未解明」となったままのものには触れず放置し、いつもと変わらず記事を配信していくというサイクルから生まれた「罠」のようなものだと私は考える。
そして、彼らや業界が生み出した「罠」が、ときに怪獣の如く口を開け、ある時には落とし穴の如く存在し、またある時にはワイヤートラップの如く行く手を阻み、記者がその現実に襲われているのではなかろうか。その「罠」を解除できるのは業界外の第三者ではない。マスコミ業界自身のみであり、記者たちが綴るしかなのだ。
第三者に出来るのは、その「罠」の解除ではなく、破壊でしかない。それも、業界の「自浄作用には期待できない」という、心象を悪くする副作用を伴った破壊なのだ。
2011年09月12日(月) | マスコミ関係 | comment : 0 | Trackback : 0 | △