2005-11-17
それは、日米首脳共同記者会見の開始前にあった、とある光景。
■記者会見開始前の光景(画像ソース:CX系「とくダネ!」)

時系列で解説すると ↓
1:共同記者会見場にブッシュ大統領、小泉首相が入場する。

2:小泉首相、ブッシュ大統領の演壇にさっと手を向ける。

3:画像左側前方の米国記者団が、次々に席を立ち、礼をする姿勢に向かう。一方、右側前方の日本人記者団は、着席したまま。

4:ブッシュ大統領、演壇に到着。左側前方は立席する。一方で右側前方は・・・

さっと立つ左側前方の記者団に対し、右側前方の記者団が着席したままという風景は、何だかなあ・・・と感じるのである。
(ちなみに、左側左側のブロンドの女性記者は、確か米ABCの記者だったと思う。ゆえに、それを加味して考えると左側前方には米国記者団が待機していたと考えられる。)
「席を立ち礼をする」というのが正しい、と言い切るつもりはない(実際、
座礼という礼儀作法が日本にあるぐらいだし)が、左手前方の記者団が席を立ち敬礼をするのに対し、右側記者団が座ったまま・・・というのも何かしら敬意があるのかどうかというと疑問が残る。というのも、挨拶前に右側の記者団が座ったままで身を律したという光景には見えなかったのだから。
むしろ、左側の記者団(恐らく米国側の記者団と言っても差し支えないと思う)が、
常日頃批判の的とする人物に対し、さっと席を立ち敬礼をするという風景は、こう左右で比べてみると、やはり関心すべき事象だなあ、と私は思うのだ。ふと思いつきで、政府インターネットテレビでつい先日開かれた「第3次小泉改造内閣」発足後の記者会見」の風景をキャプチャしてみた。その光景がこれ ↓
■
第3次小泉改造内閣発足後の記者会見(政府インターネットテレビ) より

→
(画像は後ほど掲載するが)小泉首相が記者団に向かい礼をするのに対して、着席している記者団が座礼もしない部分に注目して欲しい。
この光景を見て、礼儀ひとつであれど、相手に敬意を払わないというのに、やはり何かしらの違和感を私は感じた。
翻って、
自分は目上の人に対し、また私を訪ねてきた第三者に対し礼儀というものを払ってきたのか、ふと思いを馳せた。(
決して、目上の人間に対し、どのような人間に対しても、コメツキバッタのようにペコペコしろと言うつもりではない。あくまでも礼節という意味での礼儀である。)
今日は、あるマスコミの風景から礼儀というものについて考えてみた。
Comment
小泉さんやブッシュを人間と思ってない,蛇蝎と思っている,そんなブンヤが国際協調を説いたり平和を説いたりするのはギャグ以外の何物でもありません.
日頃、節度ある礼をしないまま生活する人間が急に礼節ある態度をとるようになるのは、やはり大変なことだと思います。(意識付けて礼をしない限りは、最終的に自然と出る礼儀を持つ事は限りなく難しいですから。)
だからこそ、礼儀というものは個人の無意識の下で自然と出るようになるライフスタイル(学校、仕事、日常全て含め)が重要になるんでしょうね。これこそは、個人の意識だけで礼節を重んじるだけでは限界があるので、文化や教養、しつけやマナーの教習などで「相手を思いやる」ことを教えるなどの全体的な底上げが必要かと思います。
ただ、それを個人の自由だの、全体教育だの、強要だのいうような後ろ指を指される発言がもし仮に出てくるようでは、まだまだ前途多難なのかも知れませんね。(単純に礼儀を強制されるだけのものもダメ、ということと、礼節を重んじることを意識付けようとする潮流が、「個人の自由」という言葉で安易に批判される風潮もダメ、という2重の意味で。)
右側の記者団も日本人だけではないし、単純に日本のマスコミの礼儀が…という話ではないと思います。もっとも、日本の記者の多くが横柄である、という意見には賛成です。
確かに仰られるように、米国の記者が「大統領に妙なカリスマ役を押しつけて喜んでいるように見えて」や「小泉さんは眼中にないように見えませんか?」というのはひとつの主張として、非常に説得力を持つものだと思います。
というのも、米国マスコミ自身が(特にTVメディアについては「公正原則(政治的公平条項=フェアネスドクトリン)」の撤廃に伴うことも相まって)、メインストリームメディアになるにつれ、主義主張を前面に出すことと、長期的・全体的に見て公平を保つという考え方のために
1:選挙戦などにおける「反権力キャンペーン」を張る主張
2:それに帳尻を合わせるかのごとく「逆側の錘」となる主張の報道
(その他もろもろ)
があることを考えると、米国大統領の番記者がネタを多く得るために、必要以上に摺り寄りに走るという傾向になることもあると考えられるのです。(日本のように一定のクラブ制度などがないために、自由競争がかなり激しいと考えられる。新聞についてはいわゆる外売りがメインだから。)
あと、日本のメディア間における「ぬるい批判合戦」に比べ、アメリカのメディアは主義主張があることを前提に異なる側の主張に真っ向と反論する側面が更に強く、それが三大ネットワークに対し新興メディアといわれるFOXの人気が躍進(当然、主義主張だけでなく、ソフト面の販売能力もあっての話だが)する現象が発生したり、日本の新聞以上に幅の広い新聞の種類(これも日本の取材に関する記者クラブ制度などが、新しい新聞の参入を阻んでいる別の側面もあるが。)があるなどの「メディアの多様さ」の中で勝ち抜くために、必然的に何かに擦り寄ることは考えられますね。
なんだか散漫とした話題になりましたが、結局は日本以上にメディア間の販売戦争が厳しいからこそ、「相手に礼をする(それにより顔を売る)」ことが、指摘された文化などの土台の上に、さらに重なったものとして存在しているのかもと思うのです。
こんなのでどうでしょうか?
記者って、例えば企業の社長とかが良いスピーチをした後、拍手をするかどうかとか迷うんですよね。公平な報道を心がけるなら批判的な目でも見なくてはいけない。拍手をしたら肩を持っていると誤解されることもあり得る。でもいいスピーチなら素直に拍手したい。スピーチが終わった後、シーンとする光景にはいつも違和感を覚えます。
記者という立場以前に人間として「礼」を大事に、というあたりまえのことを思い出させてくれました。
ちょっと冷静に立ち返って下さい。
仕事をしている人は、その場の礼を免除されるのですよ。
重要な場で、それを取材することが仕事の場合は特にです。
単に日本のマスコミが最低限に必要な礼すら欠いていることに起因してると思います。
一般的な国民が見て、下品なんですよ。
そしてその下品さは、「重要な場で、それを取材することが仕事の場合はその場の礼を免除される」限度を超えてるんじゃないんですかね。
私からしたらジャーナリストは仕事中礼を欠いていいって論理にも首肯しかねますが。
仕事中礼を欠いていい職業ってジャーナリスト以外に思いつかないですもんねぇ。
が、一般人のほとんどは全く無関心で立ち止まりもしない。私の様にその場に立ち止まって直立不動なんかしてるとおかしく見られる位。本当なら我々の世話の為に艦旗に背を向けて誘導なんかさせたくなかったんだけど・・・・・
それ位、一般人の礼の知識欠如も甚だしいものがありますよ。まぁ、親も学校も教えないからそうなるんでしょうけど。