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2 第2項、第3項の主張について→ この辺りについて、当時の訴訟に関する初報がどのような経緯で行われていたかを解説した人が ↓
被告は、甲第1号証は学者の立場から、原告のナノ粒子の有害性についての問題提起のあり方を批判するものであったとし、「新聞は、往々にして、ニュース性のあるものを優先して、しかも刺激的な見出しを付けて掲載するのであるから、センセーショナルな見出しのついた記事を、何ら専門家としての判断を加えずに、そのまま掲げて、問題があるような話をするなどということは、参加者に誤った印象を植え付ける危険性が高く、専門家としてのプレゼンテーションとしては適切でない」と主張する(下線原告代理人)。
このような被告の批判は、原告が「センセーショナルな見出しのついた新聞記事を、何ら専門家としての判断を加えずに、そのまま掲げて、問題があるような話をする」ことが前提となっている。仮に、原告が新聞記事を掲げてプレゼンテーションをしたとしても、専門家としての判断を加えた上でのことであれぱ、被告の批判は合理的な根拠を欠く。
本件においては、原告のプレゼンテーションは、決して「専門家としての判断も加えず、新聞記事をそのまま掲げて問題があるような話をした」ものではない。したがって、被告の批判は全く的外れで、合理的な根拠を欠く。被告自身、第3項においては、「本件で、原告が、新聞記事を掲げて、それを切り口として用いてナノ粒子について発言したことは事実である」と主張するのみで、「原告が専門家としての判断を加えずにそのまま掲げた」事実についての主張が欠落している。言うまでもなく、専門家としての判断を加えた上で新聞記事を掲げたか否かは、科学者としての信用にかかわる極めて重大な事実である。その部分の主張、立証抜きに、「学問的批判の自由」という被告の抗弁が成り立たないことは明らかであって、被告の主張はそれ自体失当である。
そもそも、「新聞は、往々にして、ニュース性のあるものを優先して、しかも刺激的な見出しを付けて掲載するのであるから、センセーショナルな見出しのついた記事を、何ら専門家としての判断を加えずに、そのまま掲げて、問題があるような話をするなどどいうことは、参加者に誤った印象を植え付ける危険性が高く、専門家としてのプレゼンテーションとしては適切でないとの被告の見方自体も、極めて一面的なものと言わざるを得ない。新聞報道においては、記者はもちろん客観的な事実に基づくものであるよう常に心がけて取材を行っているうえ、記事になるまでには客観的事実に基づくものかどうかの観点から二重三重のチェツクが行われている。その上で、さらに意見が対立しているような場合には、偏った報道を回避するために、異なる立場からのコメントを掲載するなどして公平性に配慮されているのである。もちろん、中にはオーバーランしたものも見受けられるが、総じて客観的事実に基づき公平性に留意した報道がなされているといえるのである。彼告の新聞に対する批判は、あまりにも一面的な見方と言わざるを得ない。被告は、それをあたかも全体的な問題であるように主張することにより、まるで新聞が日常的に不当な報道をしているかのような印象を与えかねず、これは新聞報道関係看に対するいわれなき批判に他ならない。このような被告の新聞批判の手法を見ると、一部にしかあてはまらず全体論としては誤った事実に基づいて、一方的に他者を批判するというもので、本件名誉毀損行為の手法と全く共通するものであることがわかるのである。事実に基づかずにセンセーショナルな批判を行っているのは、むしろ被告自身なのであって、新聞批判を口にする前に、被告こそ自らの言動を客観化し、自己反省に努めるべきである。
前回の本欄で、裁判の経緯について記した。シンポ会場で何があったのかを物語る決定的な証拠は、第三者が偶然録音していたテープ。中西氏は9月、このテープを裁判所に提出し松井三郎・京大教授を反訴した。反訴状その他の資料も、環境ホルモン濫訴事件:中西応援団でアップされている。→ 何だかこの経緯を読むだけでも、原告側訴状の「新聞報道においては、記者はもちろん客観的な事実に基づくものであるよう常に心がけて取材を行っているうえ、記事になるまでには客観的事実に基づくものかどうかの観点から二重三重のチェツクが行われている。」という認識はとても頷けるものではないと思うのだが・・・。実際、報道というのは裏取りというのは確かに行われているというのは事実だと思うが、その記事が、「原告側の訴状とプレスリリース」を情報源として、「原告側の訴状とプレスリリース」だけを裏付けるものを収集して記事を書いたものだとすれば、それは本当に「環境問題を発端とした論争の中身」について、「双方の主張を客観的事実に基づいて書いた」記事となるのであろうか?
だが、ことの本質は、提訴時に松井氏側が出したプレスリリースにある。プレスリリースは、中西氏が自身のサイトで松井氏の言動について(1)「環境ホルモン問題は終わった、次はナノ粒子問題だ」というような発言をした(2)新聞記事のスライドを見せたが、原論文も読まずに記事をそのまま紹介した----などと記述した、と説明する。そして、これらの記述が事実に反するとともに松井氏の名誉を著しく毀損するものであり、中西氏は松井氏の抗議を受けて記事を削除したが名誉回復措置を講じていない、などと中西氏を非難する。
これはあくまでも、中西氏の記述(甲1号証)を松井氏が読んでどう受け止めたか、ということ。私は、同じ記述を読んでも同じようには受け取れない。特に(2)は完全に的外れ。誤読したとしか思えない。削除のニュアンスも、中西氏が自身のサイトで説明していることと微妙に異なる。しかし、新聞社2社と通信社1社は、訴状とプレスリリースを基に、提訴を報じたのだ(中西応援団で、2社の報道内容(筆者注:通信社については不明)も読める)。
もし記者が中西氏の記述を読んでいれば、「プレスリリースの内容はずれているな、プレスリリースを基に報じると、逆に自分たちが中西氏の名誉を傷つけかねない」と感じたのではないか。しかし、どのメディアも「削除した文章を読ませてほしい」と要望することはなかった。中西氏によれば、記事化した3社のうち1社は電話をかけてきて提訴された感想を求めたが、中西氏は訴状を見ていなかったので答えられなかった。1社は、留守番電話のみ。1社は、まったく接触してこなかった。世の中のどんな事象も、どこからだれが眺めるかによって全く違って見えるものだ。だが、報道3社は松井氏側のプレスリリースを受け、松井氏側の「社会に知らしめたい」という意図に乗ったのだ。
3社の責任が問われるが、あえて書き添えれば私も記者として同じ局面に立たされれば、同じことをしたかもしれない。限られた時間での取材執筆だ。記事中で「訴状によれば」「プレスリリースによれば」と引用すれば、それがいくら一方的な言い分であったとしても、新聞社が責任を問われることはない。「裁判の結果、それはウソだということになるかもしれないけれど、訴状に書いてあったのは事実でしょ」というわけだ。→ つまり、この場合メディアが報道したのは「原告の訴状もしくはプレスリリースである」ということを明記してあるのだ。しかも、それが引き起こした現象のなりゆきに関わらず、原告・被告側含め、報道によって発生した損害などを回復するためにマスコミ側が「我々の報道したことで」という前置きありで発信するとは限らない(むしろその可能性は低い)、ということだろう。
プレスリリースでもう一つ注目すべきは、後段の「提訴に至った理由」である。中西氏は、環境ホルモン問題は終わったと考えている/しかし、それは誤りであり見過ごせない/だから、松井氏は貴重な研究時間を割いて提訴に踏み切った----などと書いてある。驚くべき論法である。これがまかり通るなら、研究者も科学ライターも科学的批判など全くできなくなる。なぜならば、「提訴された」という事実は社会的な制裁にもつながるものだからだ。例えば、一介のライターである私が批判記事を書き、立派な肩書きがある研究者から提訴されたとしたら。裁判の中味いかんに関わらず、出版社は面倒なライターを敬遠し仕事の発注は停まり、社会的に葬り去られるのではないか。→ 私もこのような「訴訟に至る論法」を仮に当てはめられたとしたら、本当に「一巻の終わり」である可能性は十二分にありうるのだから恐ろしい。ある「情報」について、「実際はどうだったか」を考えることの機会さえ、「それは誤りであり見過ごせない/だから、提訴に踏み切った」という論法を使われたとしたら・・・本当に傍で支えてくれる人間がいる人はまだいい。一気に周囲の人間が疎遠となったとしたらどうだろう?
さて、報道する側はどうしたらよいものか。私自身も書くことで、“加害者”にも“被害者”にも成りうるのだ。だが、提訴自体を非難するのは難しい。どれほど良識のない行動であったとしても、他人を提訴する権利はある。不当だと思えば反訴して戦うしかない。ならば少なくともマスメディアは、「プレスリリースが出たから即記事にする」のは止めるべきだろう。速報をあきらめ、両方の当事者にあたるという取材の基本に立ち返るのも、大切なことだ。→ 「ごくごく当たり前のことじゃないか!」と思う方もいらっしゃるだろうが、基本を疎かにしては何も始まらないだろう。この主張は至極真っ当な内容だろうと思う。
(記事番号396より抜粋)→ な、なんだってー!
反訴被告の答弁が最初に行われました。
本件訴訟が不当訴訟であるという反訴原告の主張に対しては、
「請求が正当であることは元の訴状を読めば分かる」
「反訴被告の提訴の意図は反訴原告に対する攻撃であるというが、訴状を読めば分かるとおりそんな意図はない」
と述べました。んで、次が驚愕の爆弾発言。
「プレスリリースは新聞記者に対する説明のために出したもので、本件訴訟の目的にはあたらない」
訴訟代理人弁護士名義で出したプレスリリースの中で「訴訟の目的はこれこれである」と書けば、普通はそれを読んだ人は内容を信じます。記者だってそのままそれを記事にするわけです。中下弁護士は、プレスリリースに真実ではないことを書いて記者に渡したということを、裁判官の前で陳述しちゃってます。
ところで、前回、前々回の口頭弁論で、中下弁護士は、新聞記事は取材と多くのチェックが入るので正しい、という趣旨のことを述べていました。しかしご自分は、真実と異なる情報をプレスリリースに書いてそのまま記者に渡し、記者はそのまま掲載したわけです。新聞記事の信頼性を落とす方に一役買ってるのは、中下弁護士ご自身ということのようです。この場合、社会通念からいって、「弁護士の出したプレスリリース」を掲載した新聞記者にはほとんど落ち度はないでしょう。そのとき、訴状はまだ裁判所の中か送達の途中で、記者が目にすることができる状態ではありませんので。
さらに、掲示板情報で申し訳ないですが→ いやもうまじで、何これって印象。
http://www.i-foe.org/bbs/treebbs.php?mode=one&no=385&page=1
にある、原告側弁護人の「プレスリリースは新聞記者に対する説明のために出したもので、本件訴訟の目的にはあたらない」発言が本物であるならば、「訴状で言う『(報道について)中にはオーバーランしたものも見受けられるが、総じて客観的事実に基づき公平性に留意した報道がなされているといえるのである。』の語りは、結局何なんだよ!情報源そのものが欠陥じゃねえか!」という心境でもあります。
ネットで批判すると一方的なの!? ネットだからこそ反論の場はいくらでもあるんじゃないですか!? 松井氏には一応ご自身のページがあります。大学の教員紹介のページなのでここに反論を書けるものなのかどうかは微妙ですが、その気になれば無料のブログサービスを利用することだっていくらでもできます。このブログだってそうだし。→ 辛辣に語る。
ていうか、そんなこと言ったら原告側のプレスリリースだって、ネットの掲示板(化学物質問題市民研究会の掲示板)で公開されてたってわけですが、これは「一方的」じゃないの!?
メールを中西氏のサイトで公開しなかったことを一方的としているところを見ると、同じ場(サイト)に批判した相手の意見を載せられないのが「反論の場が与えられない」ということなのでしょうか?
まさか、中西氏のサイトには掲示板がないとかコメント欄がないとかトラックバックできないとか、そういうところが「一方的」で「反論の場が与えられてない」っていうこと!? プレスリリースは掲示板だったからオッケー!?
産業界におもねる学者も市民団体におもねる学者も、利やイデオロギーのために科学をゆがめるという点では何も変わらないわけだ。→ まさに一刀両断。
彼等が「自分達と違う主張をするものは敵」という了見の狭い考え方を捨てない限り、
運動ごと自滅の道をたどるだけだと思うのだが…。
http://erict.blog5.fc2.com/tb.php/162-e523db35
いろんな人が書いている記事を通して大体のことは理解できた。 今回もやはり生温い笑みがこぼれましたよ、と。 ...
幻影随想 : 2005-11-20 02:28
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