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寛仁さまひとりが発言を続ければ、それが皇室の総意と誤解されかねない。そろそろ発言を控えてはいかがだろうか。→ 「言論の自由」の下に報道という商売を行う企業が、言論を用いて主張に反対するのではなく「発言を控えて欲しい」と言論を抑制するのですか。
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朝日新聞が三笠宮様のご発言にクレームを付けたことに結構非難が集中しているようだ。ある方は自分のブログの中で「左巻き下郎新聞」とまで罵っていた。まあ、これは些か価値観入り ...
壱・伍枚舌日記 : 2006-02-14 05:21
Comment
そうでないなら…不敬だ。
「皇室の総意」と誤解するとも思えないし、僕はオバカさんなのでよくわかりませんが寛仁さまにも「言論の自由がある」でしょうに・・・
だんだんメディアに恐怖を覚えてきた今日この頃です。
だがしかし、寛仁さまが発言する事と、報道という立場で記者が発言するという事は違うと思う。
1度の発言で寛仁さまの御意見が世間に認識されるならばともかく、それが数度となると「私人」「公人」の立場柄、国民に影響を大きく及ぼすという懸念があります。
つまり、寛仁さまの「発言に左右される」という国民が誕生し、結局それが表現の自由を超えた発言と解釈できなくもない。
また、これが通説となれば、公人である総理大臣、国会議員、都道府県知事...などが、選挙時の「公約」そのものが「言論の自由」によって守らなくてもいいもの。と仮定されるようになる。
報道は企業であっても私人である記者そのものの「言論の自由」であり、公人の立場で発言する「言論の自由」とは異なっていると思います。
また、皇室典範改正については、皇族の意見を知りたい国民もいるのです。国民の知る権利を侵害しないで欲しいです。
>報道は企業であっても私人である記者そのものの「言論の自由」であり、公人の立場で発言する「言論の自由」とは異なっていると思います。
報道機関は第四の権力です。記者が私人であっても報道または社説として載せる以上は公人と同じです。嘘や誤った情報を流布させたり、他人の権利を侵害した場合の責任は私人より大きいです。「言論の自由」を理由に責任逃れは許されませんよ。