メモ:勧善懲悪の筋書きが必要なことと、メディアへの同情論

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2008-10-19

保育園のイモ畑を潰した大阪府は本当に鬼畜なのか?(狐の王国) より
勧善懲悪のストーリーにのせないと記事にならないという都合があるらしいが、そんなの知ったこっちゃねえよ。

野菜刈り取られ…涙ぐむ園児 保育園の畑を大阪府が行政代執行 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

この記事がいろいろひどいと思った。何がひどいって大阪府がいたいけな子供を泣かせてるというストーリーで書かれてて、あまりに一方的すぎて素直に読めば「橋本知事ひどい!」になるし、うがって見れば「保育園あやしい政治団体みたいだな」になりがち。

そうなるのはストーリーを作るだけでまともに情報を提供してないからだ。
 → これに対するはてなブックマークのコメントから、私にとっては一際目を引いたコメントがこれ ↓

保育園のイモ畑を潰した大阪府は本当に鬼畜なのか? - 狐の王国(はてなブックマーク) より
2008年10月17日 sekirei-9 メディア, 社会, 考察, ニュース 大阪の強制代執行に関して事実を冷静に伝えるのではなく、感情的な側面ばかり報道されているという話。とはいえ、事実や冷静な分析を求めている知的?な読者ってそんな居ないのかも。

2008年10月17日 kazoo_oo media, news 事実のみでいいのにね。それだと「仕事」がなくなってしまうのかね。

2008年10月17日 expired そりゃ真実よりも勧善懲悪の「雑談ネタ」を求める国民が多いからでしょ。この記事が「マスコミ批判の勧善懲悪」としてはてなでブクマされるのと同じ原理。

2008年10月17日 inamenai メディア 立場を明確にした上でならメディアにもストーリーはあってもいいと思うんだよね。ただ、せめてそのストーリーを補強する材料くらいはちゃんと用意しろと。

2008年10月17日 FTTH # |ω・)……, ↓ rnaがグッドであります

2008年10月17日 rna media マスコミ批判のストーリーに乗せなくても書ける内容だよね。乗せたからこそのホッテントリ入りだとしたらマスコミが「勧善懲悪のストーリーにのせないと記事にならない」理由も想像付くよね。
 → この「勧善懲悪」という形でメディアが報道しないと話題にすらならない、という現状が目の前に突きつけられていること。

ひとつは、「勧善懲悪」というスパイスがないと、注目しない(当然、私を含めた)国民・市民がいるということ。

ひとつは、メディアに対して同情論のようなものが少しづつ表面化してきていること。

メディアが「ストレートニュース」として普通に流しても、受け手側で「単なるストレートな記事じゃ注目されない」ということ。場合によっては、「その報道は○○寄りの報道だ!」「△△に対してアンフェアな報道だ!」というような的外れな抗議すら、メディアに降りかかってくる。

それらを避けるため、あらかじめメディア側で推敲・取捨選択・肉付けを行って、「ストレートニュース」が「記事」という製品を作るのだが、その作業工程が、どれだけ本来の「事実」からかけ離れているか、もしくは事実の「裏面」に光を当ててないか、まともに検証できていない。

そして、メディアが本来、社会の知る権利に応えるという名目のもと、「正確」「公正」「責任ある言論と論評」というような綱領を定めた上で報道している「記事」というものが、「そんなものだけを報道しても注目されないよね、仕方ないよね。」という感じで、完全に舐められきっている意見がWeb上で表面化してきていること。

これらを通して眺めていくと、メディアは螺旋階段を下りていくかのごとく、「負の連鎖」を少しずつ辿っている気がしなくもない。

「メディアって必要なものだよ」という認識が、「知る権利」に応えるためのものではなく、「単なる興味本位」を伝えるものというレベルになってしまうこと。

「メディアは正確・公正・責任ある言論と論評を伝えている」という建前が、「ミスリードしなくちゃ読まれないよね」「ある程度のストーリー仕立ては当然だよね」「誇張も必要だよね」「で、そんな記事に沿った論評書かないとダブスタになっちゃうから大変だよね」という同情論に突き崩されること。

少なからずとも、今の報道は「勧善懲悪」という名のスパイスがないと、仕事できない、注目されない、記事にすらならないという状況を、もう一度精査すべきかもしれない。

そのスパイスは、現状では「報道」が注目されるためのカンフル剤だろう。ただ、それがメディアにとって常に良薬である保障はどこにもない。時代の流れや、市民や国民のメディアに対する要求、情報の伝播ルートが変わった場合、突如として「劇薬」いや「毒薬」になりうる可能性があるのだから。

報道手法の見直しするか、しないのならば「今のメディア像」を公然に伝えないと、気が付いた時にはとんでもない立ち位置にメディアがいた、ということになりかねないだろう。

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