日隅一雄氏の「(焼身)自殺をして名前を上げる」発言の文字起こしに画像キャプチャを加えるとリアリティ度が上がる

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2012-01-31

タイトルそのままです。
あらかじめ言っておきます。「絶対にネタ元となっている動画を見てから、あなた自身の評価を下してください。」

発端はこれ。0:50分から日隅一雄氏の物議を醸し出しているコメントが始まります。 ↓

第1回 自由報道協会賞 授賞式 (youtube)


で、この日隅一雄氏のコメントに対して批判続出。youtubeのコメント欄だけでなく、以下にも ↓

自由報道協会賞授賞式にて日隅氏「チベットの高僧のように(焼身)自殺をして名前を上げる(場内笑い)」→在日チベット人激怒 (togetter)
自由報道協会賞授賞式で日隅氏の自殺発言(場内笑)に怒りの声 - Togetter(はてなブックマーク)

この批判に対して、日隅一雄氏が釈明を発表 ↓

自由報道協会賞授与式での発言について(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄) より
 まず、私の挨拶でチベットの高僧の高貴な行為が傷つけられたと思われた方に謝罪いたします。私としてはそのような意図はまったくありませんでしたが、そのような受け止めをされる余地のある表現しかできなかったことは、本業も含め表現行為を糧としてきた者として不甲斐ないことです。故意ではないにしても傷つかれた方に謝罪する必要があります。本当に申し訳ありませんでした。

 そのうえで、今回の発言がチベットの高僧の高貴な行為が傷つけるものではなく、来場された皆さんが笑った対象も、チベットの高僧の行為ではなかったことを説明したいと思います。

 まず、私の挨拶を書き起こしてみましょう。
 → このように釈明されている。

さて、単純に書き起こしを転載すると発言されている際の表情とか、雰囲気が伝わりづらいので、画像キャプチャを加えて掲載するとこうなった ↓

自由報道協会賞授与式での発言について(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄) より

jhk5020.jpg
はい、どうもありがとうございます。日隅一雄と申します。この度はこのような名誉ある賞の冠をつけさせていただいたうえに、プレゼンターとして呼んでいただきありがとうございます。 
jhk5039.jpg
 これまでに登場されたプレゼンターの方々が有名な方々で、「なんなんだ、こいつは」、ということで、jhk05042.jpg
私は昨日、東電の前でチベットの高僧のようにですね、火を、自殺をして私の名前を上げたほうがいいのかなと、(筆者注:ここで会場に笑いが起きる)jhk5047.jpg悲愴な決意でここに来ているわけなんですが、jhk5049.jpg
真面目な話、数年前から私はブログの方で第二次大戦のこととか、それから、いろいろ、われわれが忘れてはならないことをずっと書き続けてきました。jhk5100.jpg
そのなかで今回大きな事故が起きて、この東電の事故も決して忘れてはならないという意味で、私の活動をみていただいて名前をつけていただいたのではないかと思って、非常に光栄に思っております。さきほどから、自由報道協会がいつまで続くのかという話があるんですが、ぜひ、50年、100年と、孫子の代まで、続けていただきたいと思っております。もし、途中で止まるようなことがあったら私は化けてでたいと思っておりますのでよろしくお願いします。

 → 時系列に起こすとこういう風になる。動画のタイムラインと発言の位置を調整したらこうなったわけですから、その辺りはご了承を。(問題があれば、youtubeの動画ソースを見ていただければ幸いです。)私の評価は?と聞かれれば、発せられる言葉の内容と表情は関連するものだから、感情がそのまま顔に出たのでは?という解釈が全てだ。

さて、日隅氏の釈明でこういう部分があったのだが、 ↓

自由報道協会賞授与式での発言について(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄) より
 私が笑いながら話しているのがけしからんという方もいらしゃるかもしれませんが、私が笑っているのは、まさに、ほかの人とは比較にならないくらい知名度がない自分に対する自虐的な笑いです。

 この私のユーモアに対し、会場内で笑いが起きました。しかし、チベットの高僧について笑った者は一人もいなかったでしょう。みんなは、私の自虐ネタを理解して笑ったわけです。

 チベットの高僧を対象とした笑いではないことは、私の挨拶から「チベットの高僧」という部分を削除しても、同じように自虐ネタとして成立していることから明らかです。しかし、その場合、なぜ、東電の前で自殺するのか、ちょっとわかりにくくなります。ところが、「チベットの高僧」という例を挙げれば、抗議の自殺という意味なんだなということが簡単にわかります。そこで、「チベットの高僧」という表現をしたのです。もし、ベトナム戦争の時期であれば、「ベトナムの高僧」という表現をしたでしょう。
 → 私から言わせれば、事後的解釈であり、「私のユーモアに対し、会場内で笑いが起きました。しかし、チベットの高僧について笑った者は一人もいなかったでしょう。みんなは、私の自虐ネタを理解して笑ったわけです。」という内容についても、「みんなは、私の自虐ネタを理解して笑ったわけです。」と言い切れるのがある意味すごいとしか思えない。

評価は、自分で下すものにそれほど価値はない。最終的には他者が下す判断や解釈が、評価に繋がるのだ。

まあ、自由報道協会が出した協会賞も、その賞の結果も、そして会場での発言内容もやることは全て「自由」なのだから、それを阻む理由なんてどこにもない。

しかし、その自由に伴う結果責任は、日隅一雄氏も、日隅氏の発言に笑った人も、会場でいた人も、そして自由報道協会も負って当然であり、他者の評価は甘んじて受け入れなけば意味がない。

解釈の違いで逃れられると思っていたら、痛い目を見るのは自明だ。評価を下すのは、日隅氏やその周辺、そして自由報道協会の方々ではないのだから。




日隅氏の釈明部分については、必要な箇所だけ掲載しております。全文を知りたい方は、日隅氏のブログの当該エントリに移動していただき、ご確認していただければと思います。

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