「修正履歴のない情報」は信頼低下をもたらすと思うのだが

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2005-05-03

何気に自分自身が調査不足に基づく誤読記事を書いたので、偉そうに言える話題ではないが……

木走氏が、このようなエントリを配信されたので、そこから「修正履歴のないWeb記事」のもたらす各方面の信頼低下を、私自身がどう考えるか述べてみる↓

ネットリテラシー考(3)〜ネットメディアの情報検証能力(木走日記)

私の現時点の考えは、ブロガーおよびコメンテーター各人のリテラシー能力を高める努力を怠らないという前提の上ではありますが、次の2点が重要であると考えてます。

 一点目は、ネットの媒体としての優れた特性である、インタラクティブ性を最大限利用すべきであると考えます。

 具体的には、相互リンクやトラックバック機能を活用することにより、ブロガー一人一人の情報検証能力には限界があってもネットワークとしての検証能力を高めていくことは可能だと思っています。付け加えれば、当ブログでも再三貴重な情報提供いただいておりますが、コメント欄を通じての幅広い情報収拾が可能なのであり、その情報を積極的に活用すべきであります。

 二点目は、ネット記事から提供される情報が不確かである可能性がある以上、それを利用して結果として間違った情報を発信してしまったら、真摯に迅速に情報訂正する姿勢を維持し続けることでありましょう。いかなるエントリーにおいても誤謬性は避けて通れないわけでありますが、きちんと修正履歴を明示しながら、訂正するべきは訂正する姿勢を維持し続けることであると考えます。

 ここで重要なことは、ネット上の記事の発信した情報も、自己ブログの発信した情報も、絶えず真摯に批判的に見直しながら対峙することなのだと思います。
今回私が発信するブログエントリの手法について、その基本は「ソース元をできるだけ探り、そこから別角度の情報と照らし合わせて自分の考えを述べる」という方法である。

それが、今回私が入手したソース元の発信記事に「記載されていない事項」があったことを、私自身のコメント欄に「投稿」してくださった方のおかげで、ある程度の修正記事を書くことができた。

私は、この投稿があるおかげで、自分自身が必要以上に「間違いの存在する記事」へ歯止めを利かせることが可能だったという事実と共に、もしこの「投稿」がなかったら、もしくは「投稿」を軽視していたら、また、何もアナウンスもなく「大幅な内容修正」だけしていたら……

最悪な場合って、どうなったんだろう?などと考えてしまう。


A:間違いを指摘する「投稿」がなかったら
 →もしかしたら、「何もなかった」かもしれない。
 →しかし、間違いが発覚したとき、私の「間違った情報」が広く伝播していればいるほど、またその影響度が大きければ大きいほど、その反動が大きいと考えられる。まさに「抱え込んだ爆弾」である。
 →特に、情報発信者自身の見えない部分で、情報が伝播されている状況が一番恐ろしい。
 →コメント・トラックバック・メールなどの情報伝達手法を閉じていた場合も、同様な事象を招く可能性がある。

B:間違いを指摘する「投稿」を軽視していたら
 →私自身に対する、コメント応対への心象が、第三者からみて悪くなる傾向が考えられる。その心象への影響は、情報の閲覧者数や、影響度に比例すると考えられる。
 →投稿された「情報の内容」が正しいか、間違っているかを実証することによって、信頼度を確保したり、できなかったりする。その実証方法や、検証内容に対する考察・反省によって、信頼度が左右される。当然、軽視すればするほど、心象も、信頼性も大きく低下する可能性がある。

C:何もアナウンスもなく「大幅な内容修正」だけをしていた場合
 →情報の修正箇所が見えないため、第三者に情報を取り上げられていた場合に、「情報の整合性がない」ということが判別する。
 →特に、ある事象・人物に対する批評を行っていた場合、その内容に関する整合性について指摘をされた場合、批評の信頼性を損なう可能性が高い。
 →情報への影響度、及び閲覧者数、そしてミスに対する「まずい応対の多さ」に比例して批判が大きくなると考えられる。


個人Web、当然ブログでも間違った情報や、整合性のない情報ばかり発信していると、情報の信頼度もともかく、発信者に対する心象も悪くなるように考える。修正履歴のない情報を発信すると、場合によっては改竄の指摘を免れない。

これをマスコミだけでなく、一般企業や官公庁がやってしまうと、当然、悪い方向に影響するはずだから、「修正履歴のない情報」を放っておくというのは本来、リスクを抱える方向になってしまうんだよな、と考えてしまうんですが……どうなんでしょ?

例えば、毎日新聞の見出しに関して ↓

小泉首相:カレーとゾウ、インドの歓心買おうと躍起(毎日新聞:政治)
 ↓
小泉首相:カレー談議で友好強調−−カラム・インド大統領と会談(毎日新聞:政治)

 → この場合、記事内容が同じなのだが、見出しを第一報とその後の朝刊記事(第二報以降?)で変更した場合なのだが、やはり「なぜ見出しを変更したのか?」というのを勘繰られるのは、やはり放置してても大きな影響はないのかなあ、と心配になるのは気のせいでしょうか。

と、今回は拙い試行錯誤をしてみました。

Comment

木走まさみず : 2005年05月03日(火) 02:04 URL edit
 木走です。トラックバックありがとうございます。今回の件では、いろいろと考えさせられました。考えてみるとすべて貴兄の情報収集力をお借りすることで気付かせていただいたことばかりで、本当に感謝しております。
 いずれにしても情報発信するという行為はそれなりに責任を有することであると再認識したしだいです。
 私の場合、まだまだ発展途上の人間なのでこれからも慢心せず力まず自分なりのできる範囲で勉強していきたいと思っています。

 今後とも、よしなによろしくお願いいたします。
e_r_i_c_t : 2005年05月05日(木) 01:31 URL edit
かくいう私も、木走さんの情報を見なければ知的刺激を受けることなく、あのようなエントリも存在していなかったかもしれない、と思うわけです。
また、情報発信する上での認識についても、木走さんと同じく責任所在の再認識、そして様々な試行錯誤と勉強をして向上していきたいと思うわけです。

今回のエントリは、木走さんの文章を受けての刺激という一面もありますが、どちらかというと自分を照らし合わせる鏡みたいな間隔で仕上げたものです。参考になれば幸いです。
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